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OutSide・handbalL

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自分なりにハンドボールを学び、ハンドボールに関わり過ごす。

信じられない理由

前の記事の続きですが、
同級生が話していた『知識を愛する』ということ。

知識を愛するということは、それがたとえ突っ込みどころのある、
あるいはすぐに結果が出ないものだとしても、信じ続けること。

私の中のハンドボール観に置き換えると、
ずっと個人が自由に執拗にシュートを狙い続けるというスタンスと、
フォーメーションやパスプレーを重んじるプレーとの狭間でずっと悩み続けている。

過去はパスプレーを重んじ、ただそれではハンドボールの醍醐味という点で、
あるいは成長という点でどうなのか?
単発シュートを否定していた過去の自分から、
今は単発にも意味を見出だしている自分がいる。

10年という月日の中でぼくの考え、見方はこんなにも変わってきた。

攻撃のセオリーがクロスからユーゴへと変わり、
しかしまたここ一、二年でクロスを多用する実業団も増えてきたように
サイドのポジショニングが高い位置からコーナーが主流になってきたように。

これが正しい…ではなく、時代によって変化する部分がハンドボールには多々ある。

同級生いわく、哲学書から学び、その哲学を踏襲するのではなく、
哲学者の考えを知る中で自分の哲学を持たなければならないと説いていた。

ハンドボールであれば、
多くの知識、経験、見方をもって選択肢を持ち、
周りのチームメイト、相手チーム、状況を見据えた上で、
正しい選択ができるようにすること。

ユーゴでもクロスでもいい。
このチームだとどのサインプレーが合っているのか?
あるいは教え込むのか?

あるいはこのチームだとユーゴとクロスとどちらの攻めが効果的なのか?

選択の正解はひとつではないかもしれないが、
自分なりに正しいと感じられる選択をする。

その正しいと感じる部分が、
己の哲学ということではないかと解釈した。
by outlaw125 | 2017-07-16 23:50 | ハンドボール論

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